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2016年3月14日 (月)

「仮面の葬送」サンプル(冒頭部)

J.GARDEN40 新刊 「仮面の葬送」の冒頭部分です。

     第一章  嵐

 ――今日からおまえはサンニヤのしもべだ。 
 彼が読み書きを覚え、家に伝わる幾多の木簡から
必要な知識を取り出すすべを身に付けた時、
彼の育ての親でもある師は小さな仮面を取り出してきて、言った。
 ――この面をつけて、おまえもサンニヤの一部となれ。
全身全霊をもって偉大な神に仕えるのだ。
罪深き人の子の魂は消え去り、おまえは赦される。
 仮面は赤黒く塗られた木製で、
紅い縞瑪瑙の一ツ目に羚羊のねじれた角、牙のある裂けた口に、
もつれた獣毛の髪とあごひげを持っていた。
奇怪な造形だが怖くはなかった。
それは師がつけている仮面と同じ意匠であったから。
 両手でしっかりと持ち上げ、つけてみると、仮面は少し薬草くさく、
しかし驚くほど早く皮膚のように顔に馴染んだ。
一ツ目の両側に彫られた細い溝を通して見る世界は
半分ほどに狭くなったが、彼は安堵のため息をついた。
これで神とひとつになれたのだ。サンニヤ。死と病をつかさどる魔神。
その力と叡智を手に入れられるのだ。
 ――人前ではこれを決して取ってはいけない。
 師が真新しい革紐を結んでくれて、仮面は彼の新しい顔となった。
 ――神を軽んじて面を外せば、
おまえはサンニヤのしもべの資格を失うだろう。
そしておまえはこの世で唯一ゆるされた居場所を追われ、
永久に闇を彷徨うことになるのだ。
 解っています、と彼はうなずいた。
同じ仮面をつけた師の素顔を彼は知らない。
しかし優しく厳しく自分を育て上げてくれた。
その恩は、おそろしげな外見に惑わされるものではない。
 ――さあ、誓いを。
 彼は小さな掌を合わせてサンニヤに誓った。
神のしもべとして一生を献げることを。
 ――決して、俗世の人間には心を開かないことを。

  

 部族の聖域であるその高原の集落には、
さまざまな神々の家があり、神官たちがいたが、
魔神サンニヤのしもべが他の神職とまじわることはほとんどなかった。
 サンニヤがつかさどるものは死と病――
一ツ目の神に刈り取られることを恐れ、ひれ伏す者は多くとも、
みずから触れようとする者などいない。いるとすれば、
サンニヤに献げられた彼のようなしもべか、
禁忌の自死を望む狂った破戒者だけだ。
 彼が仮面を譲り受けて数年後、
彼の師である司祭(シュイ)が未だ若くして神のもとに召されると、
サンニヤに仕える者は彼ひとりだけになった。
聖域の外れにある、戸口に巨大な仮面を掲げたサンニヤの家で、
彼はひっそりと病と薬の記録を取り、守り続けた。
薬草の庭を管理し、清らかな湧き水を汲み、
質素だが滋養に富んだ食事を作り、清潔な布を織った。仮面をつけたままで。
 時折はサンニヤの智慧を必要とする者が運び込まれ、彼は迎え入れた。
生きている者には治療と祈祷を施し、
死人の場合には鎮魂と浄化の儀式を経てのち、送り出した。
 しかしその扉は万人に向けて開かれている訳ではなく、
聖域の高位司祭が審議を経てそれを許すのは部族の長に近しい、
ごく限られた男性だけだった。
死と病の魔神と闘う資格のある者は勇者だけであったし、
下世話な事情を挙げれば、
貴重な薬を惜しげなく使ってでも生命を引き留めたい人間といえば、
権力者か資産家ということになるのだった。
サンニヤのしもべは直接代償は受け取らないが、
聖域の主神殿に寄進された財宝が、めぐりめぐってサンニヤの家に、
薬の原料となる動物や鉱物、
日々口にする穀物や神に献げる酒となって届いていることは良く承知していた。
 ここにいれば何も不自由はなかった。
仮面は他の高位神官たちもつけていたし、
サンニヤの一ツ目のそれは特別異形で忌み嫌われていたけれども、
彼は気にしなかった。仮面を与えられ元の顔と名を失っていなければ、
裸足で物乞いをし、石を投げられる身の上であったことは、
ぼんやりとだが覚えていたのだ。その頃と較べれば幸せだ、とさえ思った。
 彼は淡々とつとめを果たした。
霧深い雨の日も、熱風吹き付ける日も、肌寒く震える日も、
彼の心が動かされることはなかった。
 ――しかし、嵐の日は突然にやってきた。

 季節風だと思っていた風は夜になってますます強く、
雨粒をまじえてサンニヤの家の壁をうるさく叩き続けていた。
雨戸を閉め切った高床の住居は水が漬く心配はないが、
今夜は作業には向いていないようだ。
植物のさやから種子を選り分ける手を止めて、
サンニヤのしもべはずらしていた仮面を元に戻した。
この雨風だと寝る前に軒下の面を取り入れておいた方がいいだろう。
外敵を睨みつける役目をおろそかにするつもりはないが、
あとの修繕の面倒を考えれば、仕方ない。
 手燭に灯りをうつして立ち上がった彼は、
雨風とは違う音に気付いて首を傾げた。扉を叩く音。
サンニヤの智慧を求める者だろうか。
病人や怪我人は嵐とは関係なしに来る。
しかし呼ばわる声は聖域の神官の誰でもなく、男ですらなく、若い女の悲鳴だった。
「お助け下さい、サンニヤ様!」
 彼は戸口に駆けつけたが、すぐには返事をしなかった。
サンニヤは広く畏怖される神だが、
そのしもべが病に抗するすべを蓄えていることは、
権力者だけが共有する秘密である。
彼らが妻や娘に軽々しくそれを話すことは考えられない。
そもそも女には女の神がいて、女の聖域がある。
彼は拳を握りしめ、口を開いた。
「お帰り下さい、御婦人」
「サンニヤ様!」
「私はしもべ、六十三代目のシュイです」
 声を上ずらせる女に、彼は扉越しに慎重に話しかけた。
「貴女が救いを求めるべき神は別にいらっしゃるのでは?」
 女の聖域にはサンニヤと対になる女神が祀られ、
自分と同じようなつとめを持つ女神官がいる筈だ。
しかし扉の外の女はむせび泣きながら続けた。
「助けが必要なのは、私の息子です」
「……父親は名のある方?」
「東の村の族長です」
「ではその方が正しい手続きを取り、ここにお越し下さるべきでは?」
「……私は、第四夫人です」
 女の声がか細くなった。後継者にはなれそうもない側妃の息子。
族長は寵妃に乞われて秘密を漏らしはしたが、
財をなげうって救うつもりはない、ということだろう。
「私の一存だけで治療をお引き受けすることは出来ません」
 彼は冷ややかに言って踵を返そうとした。女の悲鳴が追いかけてきた。
「待って!三日かけて、ずっと歩いてきたの!
熱が下がらなくて水しか飲めなくて――死んでしまう!
ああ、やっと着いたのに――」
 女は扉を叩き続け、懇願はやがて呪詛の言葉となって彼の耳に突き刺さった。
彼は忍び足で戸口を離れ、別の窓を細く開けて表玄関の様子を窺った。
ずぶ濡れで泥まみれの女が泣き叫んでいる。
身なりは悪くないようだが、髪を振り乱し、胸をはだけた凄惨な姿だ。
女の背中には七、八歳くらいの子供が縛りつけられていて、
ぐったりとして生気がなかった。
遠目にも左足が腫れていて、危険な状態と知れた。
「………」
 仮面の下で彼は唇を噛んだ。
このままでは子供は朝を待たずに死ぬだろう。
敷地の中で死人が出れば、
サンニヤのしもべはその穢れを祓わなければならない。
そして聖域に穢れを持ち込んだ元凶である母親は
長老たちから厳しく罰せられるだろう。
 手を煩わされるのが同じなら、見捨てるよりも救う方が
まだこちらの気持ちも救われる。
彼は消極的な選択に身を委ねて扉を開け、濡れた板床に進み出た。
うずくまっていた女がはっと顔を上げ、異形の仮面に表情を凍りつかせる。
「その子を渡して下さい。出来る限りのことはしましょう」
 仮面の下から洩れた若い男の声に、
女はようやく人心地がついたようにうなずき、
おんぶ紐をゆるめて息子をサンニヤのしもべに差し出した。
「どうかお願いします。五日前に蛇に噛まれたのです。
どうかこの子を元気に……!」
 抱きとめた身体は想像以上に重く、
濡れた布ごしにじんわりと熱を感じた。
子供は弱々しく咳き込んだ。急がねばならない。
「巡礼の妻が夫を待つための宿が、聖域の外にあります。貴女は、そちらに」
 女は息子に付き添えないことに落胆を隠せない様子だったが、
むせび泣きながらうなずいた。
「ええ――どうかこの子に、サンニヤ神のお慈悲を下さいませ」
 ふと彼の脳裏に幼い頃別れた母の面影がよぎった。
理不尽に引き離された時の母の表情が今までどうしても思い出せなかったが、
その空白に目の前の女の顔を当てはめて、
彼は知らず安堵のため息をついた。
 長い夜のための活力が、灯りのように胸にともった。

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