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2012年4月18日 (水)

スタルニクスの星 第一話「立候補者」 2

続きです。

真の主人公?セウさんご登場まで。

結構長いですよ~頑張って下さい!

 リゲルが次に目を覚ました時、彼は狂ったように走る幌馬車の床に寝かされていて、
すぐ傍に兵士の扮装を解いて旅の商人のようななりをしたアークが座っていた。
その肩ごしにわずかに見える夜空が赤黒く染まっていたが、
しかし随分と遠い感じがした。
「何人……生き延びてくれるだろう……」
 リゲルの呟きに気付いて、アークが暗褐色の短髪の頭を傾ける。
「町長の部屋の前にいた見張りの小僧は、
敵襲だって教えてやったら喜んで飛んでいったよ。
逃げろって一応言ってみたんだけどな」
「いいよアーク。もういいんだ」
 きりきりと胸を襲う痛みに耐えて、リゲルは目を瞑った。
自分が撤退を拒んだように、ジブルにいる他の多くの兵に退却をすすめても、
彼らは決して退こうとはしなかっただろう。
戦って散ることが華だ、と。一歩も退かぬことが誇りである、と。
自分たちはそんな風に習い、育てられた。
所属こそ違えど、それがスタルニクスという国に生まれた者の宿命なのだ。
嘆く必要はない。
「でも局長はお赦しにならないだろうな……」
 このうえなく冷酷な諜報局指揮官の目を思い出し、リゲルは肩を震わせた。
アークがはっと顔を上げる。
「リゲルのせいじゃない。命令が悪いんだ」
「ありがとうアーク」
 リゲルは力なくほほえみ、白い手を上げてアークの少しざらつく頬に触れた。
「でも覚悟をしておかないとね……」

 スタルニクス共和国を東西に二分する大河、
多量の砂を含んで黄色く濁ることから月江と呼ばれる川を見下ろす高台に、
首都スタンはある。
 軍事国家らしく、石を高々と組んでそびえ立つ機能美あふれる城塞の裾野に、
商店やら下級官吏の住まいやら城内に入りきらない様々な建物が、
獲物を取り巻く蟻のように城を囲んでいる。
川辺ではあったが、スタルニクスの他の多くの土地のように
スタン周辺の大地もまた乾いており、少しの風であっても砂を運んでくる。
多少の温度の差はあっても、季節というものがない街だった。
 スタン城の内部は迷路のように入り組んでおり、国相の絶対の支配のもと、
将軍が統括する軍の司令部と、大臣が従える各省庁で占められていた。
他にもこまごまとした部署はあるが、
城内図に記載のない機関は諜報局(カダ)ただ一つであった。
 秘密の通路の奥、国相の執務室近くにあるという諜報局の名は、
実は国民に広く知られている。三代国相が国相直属の機関として創設し、
以降軍人とも官僚とも違う独自の行動を取る局員が、
情報操作や暗殺という後ろ暗い任務に従事していることは
歴代の国相の幾人かが明言しているし、
実際ほとんどの局長が国相の任命を受けた側近として名と顔をさらしてもいる。
 しかし彼らが何人いて、何処で何をしているのか、
それらは厚い秘密の扉に閉ざされて、
人々は出所もさだかではない噂話をひそひそと語りつぐほかなかった。
そして、その話をした者は必ず自分の周囲を疑り深く見回すのだ。
カダは、そこにもいるのかもしれないのだから。

 スタン城の奥深く、隠し扉と厚い壁で周囲から隔てられた一画に
彼らは拠点を構えている。
窓がほとんどなく天井が低いが不満をいう者はいない。
彼らは元の家族の記憶もさだかではない子供の頃から、
訓練と任務をのぞけば、そこにいるのだ。
 例外は、無論いる。歴代の国相の中には諜報局への影響力を増そうと、
みずから選んだ元軍人や官僚を局長に据える者もいた。
が、そのような例外が期待どおりに機能したためしはなく、
諜報局の長は局員の中から推挙され、国相がそれを認めて用いるのが習いとなった。
そして、長となる者の条件は潔いほど明快であった。
 圧倒的な実力。畏怖と背中合わせの人望。
 現在、諜報局長を名乗るハーキム・バランも、
そうして選ばれた古つわものである。
規律の当てはまらぬ組織の頂点に立ち続けて十年あまり、
五十にさしかかろうかという年齢で、髪はほとんどなくなったが、
灰色の長い眉の下の眼は未だ炯々たる光を放っている。
幅広で筋肉の盛り上がった肩のあたりの印象とは裏腹に、
細部まで疑心と計算の行き届いた人遣いに定評がある人物でもあった。
 その、悪評すらも心地良く聞き流す上官の前に、リゲルは深夜一人で進み出た。
何も持たぬ証明に白い布一枚をまとい、蒼ざめて唇を噛みしめる若者は、
王者を思わせる豪奢な椅子の足許にひざまずく。
「リゲル・ヴァイスが戻りました。閣下」
 椅子の横に立つ黒服の小柄な男が、抑揚のない声で言った。
椅子の中の、黒と金で装った初老の男がうなずく。
「よく戻ってこれたな、リゲル」
 皮肉をたっぷりとまぶした声に、リゲルは肩を震わせる。
「折角占領したジブルを、我々はまた失った。我が方の駐留部隊はほぼ全滅、
国相閣下の落胆をどのようにお慰めすれば良いのだろうな」
「申し訳ございません。わたくしが力不足なばかりに、被害甚大のこの事態、
お詫びのしようもございません」
 床に額を擦りつけてリゲルは両眼を瞑った。
「今回おまえには期待していたのだがな」
 バランは椅子の中で脚を組み替え、短くため息をつく。
「おまえは殺したり脅したりするよりも、その軟弱な物腰で懐柔し、
口を開かせることが得手だと聞いていた。
ジブルを円滑に我が国へ組み込むのに適切な人選だと思ったのだが、
荷が重かったか、リゲルよ」
「いえ。あと少し試してみたい方法があったのですが、
アシアンの奴らの襲撃の方が早く、お役に立つことが出来ませんでした。
わたくしの力不足、読み違いであり、局長閣下の御名を傷つけましたこと……」
「もう良い」
 バランは面倒そうに遮った。抑えた声だったが髪のない頭皮が赤く染まり、
血管が浮き出ているのを副官の男がちらりと見遣り、そっと肩をすくめる。
「おまえはそうやってよくしゃべるが、ジブルでもむなしく言葉を浪費したのだろう。
言い訳は要らん。負け犬に与える罰は昔から決まっている。
降格と、力に見合った新しい任務と、そして鞭だ。覚悟は良いなリゲル・ヴァイス」
 バランは立ち上がり、ばさりと上着を脱ぎ捨てた。
脱いで一層威圧感の増す巨体の腰に、巻いた革鞭が吊されている。
「は……」
 リゲルは顔を上げたが、それ以上は身体がすくんで動けなかった。
 最初の一撃が肩を打ち、思わず声を上げた華奢な若者を、
鞭は容赦なく床に叩き伏せた。

 名前を呼ばれて局長室に入った短髪で長身の若者は、
かすかな血臭に形の良い眉をひそめた。
が、椅子に座した局長の着衣に乱れはなく、表情はごく平静だった。
「ご苦労だったな、アーク・ガーディエ」
 声をかけられて、暗殺者は立ったままのそりと頭を下げた。
身体検査はされたが、目立たない平服姿である。
「残念ながらジブルは奪われてしまったが、町長はじめ有力者たちの命を奪い、
我々の力を誇示することが出来た。
アシアンの奴らはジブルの再興に随分な金と手間と人材を必要とするだろうよ」
「……ご満足いただけて何よりです」
 アークは床に視線を落とした。灰色の石材には一点の汚れもない。
が、明らかに何度もここで血が流されていることを彼は知っている。
血臭が、いつのものか判然としないのも無理はない。
「が、私は当初この任務を別の者に任せたつもりであった。
何ゆえおまえが赴くことになった?」
 途中から口調が疑問から尋問のそれに変わり、アークは静かに頭をもたげた。
「先の任務が早く片付きましたので、次を寄越せと求めただけです。
遠方で、困難である方が燃える、と注文をつけましたが……
何か問題がありましたでしょうか?」
「ない。完璧な仕事ぶりだったよアーク。
流石その若さで副長と呼ばれるだけのことはある。私もカダの長として誇らしい」
 バランは笑ったが、その笑い声はそらぞらしく大して広くない局長室に響いた。
「残念ながらあまり休ませてやれんが、褒美を考えておこう。
これからも我が国を支えて、しっかり働くのだぞ、アーク」
「褒美は結構です。充分にカダの中では優遇してもらってます」
 アークは両手を身体の横にだらりと垂らしたまま、挑戦的にバランを見据えた。
「不躾な質問をお許し願えますか、局長閣下」
「アーク、貴様」
 副官が気色ばんで得物に手をかけるのを、バランは指を鳴らして制した。
「言ってみろ。小僧」
「俺が連れて帰らなければ、リゲルをどうするつもりだったのですか」
「死んだだろうな」
 真剣な面持ちのアークに対し、バランの返事は短く、素っ気なかった。
「任務に失敗した者にとっては、当たり前の末路だ。おまえの周囲でも珍しくなかろう」
「たった一人で前線の町に放り込んでおいて、
成功すると本気でお考えだったのですか」
 畳みかけるアークを、バランは糸のように眼を細めて見遣る。
「もう二十五だ。一人前に働いてもらわねば困る。
現に、同期のおまえはより困難な任務を多くこなしているではないか。
……リゲルも望んだ任務だ。おまえごときにどうこう言われる筋合いはないわ!」
 最後には恫喝されて、アークは一瞬鼻白んだ。唇を噛み、うつむく。
「失礼……しました……」
「待てアーク」
 後ずさって退出しようとするアークを、
バランは表情を一変させて猫撫で声で手招いた。
「私はおまえに期待しておるのだ。大した後押しもしておらぬのに、
おまえが副長と呼ばれるようになったのは、総ておまえの実力と人望だぞ。
……あんな腑抜けの未熟者に心をとらわれるのは、おまえの致命傷になりかねない」
「だから任務中に死ねば都合がいいと!?
馬鹿野郎、次同じような真似しやがったら、本気で殺しに行くからな。覚えておけ」
 指を突きつけられての宣戦布告にも、老獪な局長は動じなかった。
アークは唾を吐いて飛び出していく。
 どうなさるおつもりで?と訊ねる副官に、バランは余裕たっぷりの笑顔を向けた。
「青いな。青い青い。だが、むきになる性格を改めれば、
あいつは良いカダになるだろう。楽しみだ」
「では、やはりいずれリゲルを……?」
「まさか。今アークに刺されてやるつもりはない」
 バランは喉の奥で低く笑った。
「それぞれの能力に応じた仕事をあてがってやるさ。
アークも力の差が解らぬほど子供ではない。
自分とリゲルとでは、同じ戦場に立てぬことは重々承知だ。
……忙しくしてやろう。心が離れていくのも感じぬほど、
闇の任務を詰め込んでやれば良い」
 バランは巨体に似合わぬ身軽さで立ち上がった。
上着の裾が乱れて、鮮血に染まった革鞭がちらりと現れる。
 そして諜報局長は血臭と悪意をまとったまま、
スタン城のより深い闇の奥へと消えていった。

 諜報局専属の医師に手当てされている間、リゲルの目の前には、
背中から引き剥がされた血染めの布の残骸が置かれてあった。
無愛想な中年医師はぼさぼさの前髪の奥からリゲルの背中の裂傷を一瞥して、
大したことはない、と断言したが、縦横に裂かれた真っ赤な布きれを見、
消毒液のしみる傷の痛みに身をよじっていると、
痺れるような恐怖に心身が縛られていくのが解る。
 体罰を受けるのは初めてではないが、これほどまでに痛めつけられた経験はない。
今まで、たまたま上手く立ち回れただけなのだろう。
今度ばかりは申し開きも出来ない失敗の代償であるから恨み言も言えずに、
リゲルは歯を喰いしばって痛みに耐えた。
その間に、患者の不安を取り去る心遣いはともかく腕は確かな医者は、
リゲルの背に軟膏を塗り込み、清潔な布で覆った。
「傷は浅い方だよ。手加減してあったんじゃないのかなあ」
「そうですか!?」
 医師に罪はないが、リゲルは思わず噛みついてしまう。
「だって痛手を与えたい時は、もっと容赦ないよ、あの方は。
こういう血がいっぱい出る見かけが派手な傷の時は、別の目的があるみたいだ」
「目的?」
「見せしめ」 
 それはおそらく真実なのだろう。しかしだからといって、
気が休まる訳でも、ましてやあの男を赦せる訳でもない。
 医師に礼を言って医務室を出ると、リゲルは壁伝いによろよろと自室に向かった。
一人前の局員となった時に特権として与えられた、ささやかな個室は、
名札が剥ぎ取られていて、手持ちの鍵では開かなかった。
「なんだ……?」
 倒れ込みたいほどの身体の辛さをこらえて扉を叩いていると、
通りがかった小柄な少年が声をかけてきた。
「あの……そこはもう、リゲルさんの部屋じゃないみたいですよ」
「え?」
 少女のような顔立ちと、やわらかな金の巻き毛を持つ十代なかばの新米局員を、
リゲルはかすむ目で見つめる。少年は、風呂上がりの清潔な匂いがした。
「どういう意味だ、カイユ」
「降格……なんですよね。僕たちの大部屋に私物が運ばれてきましたよ、さっき」
「あ」
 リゲルは立ちすくんだ。
バランから下された処罰の内容がじわじわと実感につながった。
 カイユ少年に案内された大部屋で、天井まで届く作り付けの寝棚の三段目に
見覚えのある寝具一式を見つけて、リゲルは落胆のため息をついた。
ここから抜け出す為に努力を続けたのに、まさか舞い戻ることになろうとは。
 周囲の寝棚ではカイユと同じ年頃の少年たちが起き出して、
何事かと先輩局員を見つめている。
リゲルは現実を消し去りたい衝動にとらわれて右腕を振った。
痛みが肩を突き抜けた。
「見るな」
 何人かが慌てて毛布を頭にかぶったが、違う何人かが驚いて飛び起きた。
異様な沈黙を、カイユの声が破った。
「アーク先輩」
 常夜灯だけの薄暗い室内でも、彼の長身とすべてを突き刺すような眼は
恐ろしく目立っていた。アークは足音もなく歩み入ってくると、
リゲルの寝具以外の私物の包みを無造作に掴んだ。
「出るぞ」
「出るぞって、アーク」
「来い」
 空いている方の手で強引に腕を掴まれ、大部屋から引きずり出される。
焦った様子でカイユが追いかけてきた。
「アーク先輩困ります、副長が規律を破ったら――」
「副長だなんて、おまえらひよっ子が勝手に慕って呼んでるだけだ。
俺は手本になりたいなんて思ったことはない。勝手にさせてもらうぞ」
「そんなの……リゲルさんにも迷惑ですよ、きっと」
 なおも食い下がるカイユの頭を、アークはリゲルから手を離して一瞬だけ撫でた。
「怪我人なんだ。元気になるまで見逃してくれ。な?」
「……どうなっても知りませんよ……?」
 少年は赤くなりながら肩をすくめ、自分たちの部屋に逃げ帰っていった。
アークは自分の個室にリゲルを連れて行き、寝台に座らせた。
寝台の他は机が一つ、椅子が一つ、物入れ一つの殺風景な部屋だが、
諜報局内ではこの若さで破格の待遇である。
訪れるのは初めてではなかったが、リゲルは戸惑ってアークに訊ねた。
「どうして?アーク」
「可哀想なリゲル」
 アークは答えずにリゲルの隣に座り、彼の両手を取ってそこに顔を伏せた。
「畜生、バランのジジイ、いつか殺してやる」
 物騒な呟きに驚いて、リゲルは淡い色の目を瞠る。
「どうしたの。これは……俺が失敗したからこうなったんだ。当然の罰だよ」
「無理な任務だったんだ」
「無理じゃないよ。期待に応えられなかっただけなんだ」
「リゲル……」
 おまえを消す為に仕組まれた罠だったのだ、とは言えなかった。
自分の想いが彼を殺すところだった、とは。
 かわりにアークはリゲルに口づけ、寝台にそっと身体を倒した。
「アーク。悪いけど俺、今日はそんな気分じゃ……あ」
 言いかけてリゲルは切ない声を洩らす。
アークの舌先が彼の首筋をなぞっていた。
「ごめんリゲル。ちょっとだけ」
「やだ……あ、そりゃあ今回アークは、俺の命の恩人だけど……ダメだって」
 リゲルの華奢な全身がふるふると震える。
身体を寄り添わせたまま、もう一度切なく喘いだ。
「やめてアーク」
「……言ってることと、態度が全然違ってるんだけど」
 アークはくすくす笑いながらリゲルと抱きあった。
「リゲル。好きだ」
 幼馴染みの恋人の髪に唇を滑らせ、耳許でアークは囁いた。
孤児の悲しみと訓練の辛さをともに耐えわかちあいながら、
いつしか結ばれた、いとおしい存在。
――なのに、断ち切れとバランは言う。心を弱くする理由を持つな、と。
そしてあからさまにリゲルを死線に追いやり、さまざまに傷つけた。
それはきっと自分のせいなのだ。そして、この先も、解らない。
 傷を気遣いながら抱き締めていると、
リゲルがほっとため息をついて顔をあげた。
「ありがとう。ちょっと落ち着いたよ」
 やっと笑ったリゲルの表情に安堵すると同時に照れ臭くなって、
アークは凶暴に唸った。
その、よく鍛えられた腹筋の上に、リゲルが手を泳がせる。
「でも俺なんかがアークを占領するのは悪いよね。
アークは強いし逞しいし、人気あるから……。さっきのカイユも、
アークのこと好きなんじゃない?」
「リゲルには関係ない。無用の心配だ」
「そうかもね」
 リゲルはアークの胸にしがみつくように身体を伏せ、灯りを吹き消したあとで、
ため息のように付け加えた。
「ありがとう、アーク」
「何を今更――おやすみ」
「おやすみ」
 ひそやかに愛をかわした翌朝には、もう別離が二人を待っていた。
先に身支度を終えたリゲルが、座っているアークに口づける。
「次がどんな任務か解らないけど、終わったらすぐに戻ってくる」
「俺も仕事が終わったら戻ってくる。必ず会おう、リゲル」
「うん。じゃあね」
 リゲルは昨夜より元気そうな足取りで出て行った。
そのわずかに赤いものがにじむ細い背中を見送って、
アークは苦悶の表情で両手に顔を埋めた。
「でもリゲル。今の俺では、きっとおまえを不幸にしてしまう……」
 そして彼も立ち上がり、彼の生きる世界へ、決然と歩み出していった。

 諜報局の秘密の出入り口の近くにある、
薄暗い一枚板のカウンターに居座るあるじを、
局員たちは〝名前屋〟と呼んでいた。
外見は五十歳前後の、隻眼と歪んだ身体に激戦の名残をとどめる、
一筋縄ではいかない面構えの親爺である。
その昔バランと局長の座を賭けて激しく争い、
敗れてこの片隅に追いやられたという噂だが、真偽を確かめたものはいない。
ただ、リゲルが訓練を終了して諜報局員となって
さまざまな任務に就くようになった頃には、名前屋は既にここにいて、
局員たちの仕事を補佐する役目に就いていた。
彼が管理する部屋にはさまざまな資料と道具と武器があり、
頭の中には更に多くの知識がうまく整頓されて詰め込まれてあり、
彼はそのどちらも自由自在に取り出すことが出来るのだった。
「やあ、リゲル」
 名前屋はリゲルが近付くと、顔のつくりに似合わない人懐っこい笑みを浮かべた。
「新しい指令書が届いているよ。これだ」
 カウンターに並べられた紙の束から、
名前屋はするりと一部を抜き出して差し出した。リゲルは礼を言って受け取る。
「二級諜報局員リゲル・ヴァイス……」
 まざまざと記された降格の事実に、ぴりぴりと背中の傷が痛む。
より深く裂けたのは、背中の皮ではなく、おのれの誇りであったことをリゲルは悟った。
「国相選挙立候補者、セウ・アサドの身辺調査を命じる……って、国相、候補!?」
「そういや来年は選挙の年だなあ。四年ぶりか」
 昔を懐かしむようにのんびりと、名前屋がカウンターに肘をついた。
「あれはなかなか楽しいぞ。皿に名前を書いて箱に入れてなあ。
選挙管理委員が集計の終わった奴を壁に投げて割るんだ。
その音が一晩中賑やかでなあ。結果を賭けてみんなで酒を飲むのさ。
リゲルは最初の投票になるのかね」
「まともな戸籍のない俺たちカダに投票なんか出来る訳ないだろう。
人生経験豊富な名前屋の方が、例外なんだ」
 リゲルは渋い表情で吐き棄てて、指令書をめくった。
「でも国相候補って、将軍とか大臣とか、そのすぐ下の部下とか
……軍隊と官僚のそれぞれの代表者だと思ってたけど。
そんな相手の調査だなんて、
下っ端諜報局員の任務にしては結構重要な感じがするなあ」
 なけなしの選挙知識をさらって考え込むリゲルに、
名前屋があっけらかんと応えた。
「どっちでもないって話だよ」
「え?」
「軍隊の黒幕でも、官僚の操り人形でもないって話。
退役軍人らしいが、まあそんな奴、スタルニクスにはくさるほどいるな」
「………」
 上目遣いに相手を見ながら、リゲルはうなずく。
「何者なんだ、そいつ」
「さてな。だから調査が必要なんじゃないのかね」
 冗談めかして名前屋が言う。その態度から、
上層部のこの件に関する考え方が透けて見えた。
「……背後関係を調べるとかよりも、
そいつの頭がオカシイってことを証明するのが目的なんだろうな」
 指令書にはその男の人相風体と直近の居場所がカダの暗号で書かれていた。
場所はスタン城郊外。すぐに終わらせることが出来そうだ。
「どうでもいいような調査の任務だけど、頑張って数をこなして、
早く一級に戻りたいな。この歳で大部屋なんて真っ平だ」
 勢い込んでリゲルは指令書を畳み、一旦カウンターに置いた。
下級局員ではアークとの釣り合いが取れなさすぎるので、
早く元の級に戻りたい、とはさすがに口に出せなかった。
「出世したいのかね、リゲル?」
 名前屋が表情を消して静かに訊ねた。
「前の任務でジブルに向かう前、おまえさんは何と言って出て行った?
……今回は殺さなくてもいいから素直に頑張れそうだ、と言ったんだ」
「そうだったね」
 リゲルは痛む場所に触れられたように顔をしかめた。
「でも正直、そうなんだ。今回も……流血沙汰とは関係なさそうでほっとしてる。
簡単な仕事だからだろうなって思うと複雑な気持ちだけど」
「おまえさんは変わっているよ、リゲル」
 名前屋は深々と嘆息した。
「諜報局員としてだけじゃなく、スタルニクス男子としても変わっている。
我らは闘争の歴史を持ち、誰もが一度は戦場に立つ。
格闘技場の盛況と熱狂ぶりを見たことがあるかね?
大きい街ならどこにでもある。我々は闘いが好きなのさ。
それも、血が沢山流れるようなやつだ」
「解らない」
 リゲルは困惑して首を振った。
「らしくないな、とは思うよ。見た目も男らしくないし。
でも俺だって、沢山戦って血を流して生き延びてきた。
この年齢でカダにいることが証明だ。そうだろう名前屋?」
「そうとも。その通りだよ」
 名前屋はリゲルの心を覗き込むように、片方しかない灰色の眼をすがめた。
「だが、馴染まないものが離れてゆくのは、道理というものだ。
違うがゆえに惹かれあう心がまさる事もあるがね」
「……それは、新しい任務に就くにあたっての、はなむけ?」
 訊ねながらリゲルは肩ごしに後ろを振り返った。
順番待ちの列が出来かけていたが、年少者ばかりで、
カウンターと名前屋を独占している先輩に、早くしてくれとは言い出せなかったらしい。
降格されたばかり、という情報も余計な気を遣わせる一因だっただろう。
「はなむけ、か。そんな風に聞こえたのなら、もうひとこと贈ろうか――リゲル」
 カウンターの下から任務に必要な服や道具の装備一式を取り出し、
積み上げながら、名前屋はほとんど唇を動かさずに囁いた。
「歴史が動く時には、必ず血が流れる。
戦場でも、戦場でなくても、それがスタルニクスのならいだ。
流血をともなわなければ、すべては夢と絵空事で終わるだろう。覚悟しておくことだ」
「覚えておくよ。ありがとう」
 必要な一式を抱えて、にこりと笑うリゲルに、
名前屋は帳面に視線を落としながら、指令の確認に取りかかった。
「おまえさんは輸送兵団を除隊したての二十五歳。
身寄りなし、行くあてなしの、人好きのする好青年だ。演技の必要はなさそうだな」
「ほとんどね」
「名前はどうする?」
 名前屋は、彼の通り名の所以であるところの、お定まりの質問を口にした。
いつもならば〝任せる〟と答えて適当な偽名を用意してもらうところだが、
リゲルは一瞬考え込んだ。
「そうだな。偽らなければならない理由もない。リゲルでいいよ」
「了解した」
 名前屋は指令書の表紙になかなかの達筆でリゲル・ヴァイスと書き込み、
改めて笑顔でリゲルに差し出した。
「無事の帰還を祈っているよ、リゲル」
「ああ。行ってくる」
 見送られてリゲルが十歩とゆかぬうちに、
その同じ笑顔で名前屋が次の局員に話しかけるのが、視界の隅に映った。
「やあ。報告書は届いているよ。これが次の指示だ」
 毎日毎日誰にでも。それが名前屋の仕事なのだ。
 リゲルは軽く首を振り、準備を整えるとカダの秘密の扉をくぐって外に出た。

 暗記して処分した指令書によると、
標的はスタン城の外側に付随する軍の施設である
〝兄弟たちの宿〟に滞在しているらしかった。
兵役を終え、故郷へ帰る男たちの為に国が無償で提供している宿で
各地にあるが、ここ首都では、軍にいる間に身寄りを失ったり、
故郷に帰りづらくなって行き場がなくなった者たちの、
とりあえずの居場所として機能しているようだ。
 与えられた情報を頭の中で反芻しながら建物に入ったリゲルの第一印象は、
〝なんだか暗い場所だな……〟というものだった。
 光のささない古い建物だ、という訳ではない。
石造りの宿は、兵舎のような四角張った実用一点張りの造りではあるが、
清潔で窓も大きく、諜報局の薄暗くて狭い大部屋に較べれば
快適そのものといってよかった。
だが、諜報局内で規律を破って駆け回っている少年局員たちの
抑えきれない若さと違って、この宿に入ってすぐ右手にある食堂に
たむろしている数人の男たちには、およそ生気というものがなかった。
怪我や病気で具合の悪い者もいるようだが、全員ではない。
年齢は高くても四十代半ばで老け込むには早過ぎる。
それなのに男たちはどんよりとした表情で言葉もかわさず椅子に座り込み、
着ている衣服と同じくらい、汚れてはいないがくたびれた存在になり果てていた。
「なんだ、こいつら……」
 リゲルは少々鼻白んで宿の入り口で立ち尽くした。
今まで諜報員として、補佐役や連絡係が多かったが、
数々の戦場を渡り歩いてきたリゲルである。
凄惨な場面も度々目にしてきたが、死を間近に感じながらも、
かわいた空気がそこを支配していたような記憶がある。
それに較べると、この宿はまるで病院だ。しかも治る見込みのない病に侵された。
 が、怯んでばかりいても仕方がないので、
リゲルは宿の番台に寄って滞在の手続きを取った。
客たちより多少年長だがずっと明るく元気そうな主人に、思いきって訊ねてみる。
「あの、ここの客って、みんなあんな風なんですか?」
 リゲルの示した方を見て、主人は、ああ、とうなずいた。
「行くあてのない人に元気を出せっていってもねえ。
あんたみたいに若い人は待ってる家族や帰る家があることが多いから、
ゆっくり休んでいきなって言っても、すぐに行ってしまうね。
あんたもそのつもりだろ?」
 主人はリゲルの華奢な手足や背中の痛みのせいで少々ぎこちない動きから、
新しい客を戦傷退役者だと推測したようだった。
「下の段の寝床を使うといいよ。食事に配慮が必要なら言っておくれ、
追加料金はかからないからね。ここでは軍籍があったことさえ証明出来れば
金は必要ない。国から出るからね。酒だけは別料金だが」
 主人が苦笑したのは、たむろしている元軍人の手許に、
ほぼ例外なく酒杯が置かれているからだろう。
リゲルは視線を合わせないようにしながら様子を窺ったが、
指令書にあった対象者の人相と一致する者はいなかった。
昼間では無理もない。夜には戻ってくるだろう。
 リゲルは主人に礼を言って二階の客室に入った。
寝台が上下二段で二つの四人部屋だが広々としていて、
諜報局の息詰まるような大部屋とはまるで違う。
西日が当たる方の半分は空いているが、もう半分には先客がいるようだ。
リゲルは西側の下の段にささやかな荷物を放り込み、
靴を脱いで寝台にうつ伏せになった。
スタン城からここまで大した距離ではないのに、随分と疲れている。
傷はほんの表面だけの筈だったが、
失った血の分の痛手はしっかり受けてしまっているらしい。
「帰ってくるまで、ちょっとだけ……」
 眩しさは、枕を包む布を外して顔の上半分を覆うとやわらいだ。
リゲルはそのやや不自然な姿勢のまま、束の間の眠りに堕ちていった。

 ガンガンと鉄鍋を打ち合わせる音と夕食を知らせる大声に気付いて顔を上げると、
あたりはもうすっかり暮れて西日の名残すらなかった。
リゲルはくしゃくしゃの髪のまま座り込んで任務と空腹をはかりにかけて考え込んだが、
標的もここで食事を摂る筈だということを思い出して、階段を下りていった。
「すみません、遅くなって」
 ここで食べる食べないも各人の自由なのだが、
タダ宿のタダ飯を逃そうというものは少なく、食堂は戦場のような有様になっていた。
昼間生気のなかった連中も、この時ばかりは元気になって食事をかき込んでいる。
凝った料理ではないが、政府からの慈悲そのものである食事の盆を抱え込むように、
リゲルは空席を見つけて、長い机の端に着いた。
 食堂の一番奥に立っている男に気付いたのは、その時だった。
背が高いと思ったのは、男が伏せた木箱の上に立っていたからで、
実際はそこまで長身ではないだろう。
しかし首から肩にかけての筋肉は厚く、
簡素な麻の服の上からでもはっきりと解るくらい腕も太く、
いかにも戦場帰りの兵士、といった雰囲気だった。
まだ若い。二十代後半といったところだろう。
リゲルは頭の中の手配書をしっかりと見直した。
 金褐色の髪――は硬そうな直毛で、
首の後ろでかなり無理矢理にひとまとめに縛られている。
 青い眼――は空のように明るく、やや離れた位置についている。
決して美形の部類ではないが、
四角く平べったい顔は穏やかなほほえみのような表情をたたえている。
アークの完璧すぎる造形と人を寄せ付けない雰囲気とは真逆に、
人好きのする好印象を与える顔といえるだろう。
しかしどことなく、内面をあらわさない仮面のようにも感じられる。
 リゲルの諜報員の勘はそう告げたが、リゲルは首を振って先入観を打ち消した。
大失敗したばかりの自分の能力を過信してはいけない。
「あれが……」
 食事の椀を口許に運びながら、リゲルは口の中だけで呟いた。
 あれがセウ・アサド。今回の調査対象である、国相立候補者。

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